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僕がニートになるまでの歴史~22歳編②ネット中毒者が青春のキャンパスライフを目指した話~

短大に進学すると通信時代に比べ、引きこもりっぽさは徐々に薄れていきました。しかし今度は外の世界との関わりが密になってきたせいか悩みも増えました。もちろん家で悩むより外で悩む方がいいのですが。

22歳の話は前編、後編でまとまりそうにないので分散投稿することにしました。これからも書く量は増えると思うので、同じように分けて投稿する事になるかもしれませんが、よろしければお付き合いくださいませ。

前回の22歳で短大進学編①を未読の方はこちらからどうぞ。

 

ネット漬けの毎日

 

いつの頃からだろう。通信高校に通う頃にはパソコンによく触れていたと思う。記憶があやふやではあるが、気がつけばネット漬けのオンライン廃人のような生活をしていた。初めてネットに繋いだ頃は、オンライン接続できる時間も決まっていたが、いつのまにか常時接続になっている。

制限のあるプランから始めた我が家のネット環境が懐かしい。今ではもうネットが定額というのは常識であるが、ドリームキャストなどでゲームのネット対戦などをした時に高額請求が来た事もある。今考えたら恐ろしい経験だ。

 

そんなネットの歴史がある中で、定額プランに切り替わって行ったのは、俺にとってラッキーなのかアンラッキーなのかはわからない。短大時代にはオンライン廃人、もしくは廃人の一歩手前くらいの位置にいたと思う。

俺の場合、不登校から引きこもりにシフトする形でひきこもったがひとまず外に脱出するまで約3年で済んだのは、パソコン環境が今の時代よりも整っていなかったのも大きいのではないかと個人的な分析をしている。

何しろ、引きこもりから脱出し通信や短大に通う時でさえ、学校関係の時間以外はほとんどオンラインを望んでいたからだ。特にこれといってパソコンで作業や勉強をする事はないが、とりあえずパソコンを立ち上げないと気が済まない。

生活の始まりと終わりにはネットに接続されたパソコンがあり、食事時などでも出来るだけパソコンの画面を見ていたかった。トイレに行く時間も、少し勿体ないと思う気持ちも出ていた。親という存在によって、適度に叱られパソコンから切り離されていなければどうだったか・・。

親が制限をかけてくるためパソコンが出来ないのであって、俺の気持ちとしては24時間パソコンの前で寝食を共にしたいとも思っていた。幸か不幸か、学業で外に出る必要がある時期にネット環境が遅れて整ったため、外への意識も一応は頭の中に存在し続けた。

 

テレビも、ゲームも、漫画も、人も要らない。俺にはパソコンがあれば全てが成立すると思っていたくらいだ。そんな自分なので、不登校になった18歳の頃からパソコンがあったら高確率で病的なまでの依存状態を引き起こしていたと思ってしまう。

引きこもってパソコンだけで生活している場合は、周りが少しでも意識を外に向けられるようにしていく支援が必要なのかもしれない。俺の場合は、親の絶対的な権威には従っていないといけなかったので、回線契約を打ち切られるのを恐れて言う事は聞いていた。

 

パソコンの用途

 

とにかくパソコン生活が中心。短大でもコミュニケーションを取るが基本は、家に帰ってパソコンの中の人と交流していた。思い出すだけで、かなりの時間を費やした記憶がよみがえってくる。これは短大時代に限らないので、今後もネットの話はたくさん書く事になるだろう。

チャットサイトには頻繁に出入りしていた。そこでタイピングは勝手に覚えていった。パソコン1台あれば何でも出来た。ネット碁は手軽に打て、面白いネタのサイトもたくさんある。ブログも多少は手を出した。捨てメアドも無意味にたくさん作っていた。

 

また、アダルト関連のサイトにはかなりの興味を持った。親のパソコンでありながら、無知な俺はひたすら履歴も消さずに堂々とサイトを閲覧した。履歴も消せない人間にも関わらず、ここで書けないようなキーワードをよく打ち込めたなと今では思う。

俺がパソコンを占拠していたので何とか親バレは防いでいられた。時にはウイルスにも感染し、パソコンが不調に陥ったりもした。サービスセンターに親父を名乗って電話をして解決ヒントをもらったり苦戦する事もあった。

これまでの人生でまったく女性と接点の無かった俺には、パソコンから手に入る情報はあまりにも過激でしょうがなかった。動画はあまり見れなかったので、画像を中心に探していた。パソコンに関する基礎知識はこういった経験から得ていた。

ヤフー掲示板などには、常連になるほど貼りついてひたすら書き込む日々。知らない人に誘われてミクシーにも飛びこんでいた。ネットに生きた俺は「多忙」だった。何もしていないけれど、毎日のように変化の起こるネットの中にいるのは本当に忙しい。この一言に尽きる。

 

外の世界はせいぜい、短時間の学校だけしか繋がりが無い。しかし、ネットの中であれば常に誰かが存在しており、日常も伺い知れる。本当か嘘かもわからないが、パソコンの中の人々には会社や学校の時間が存在していた。

もちろん俺も、学生という身分には変わりが無いので学生として振る舞った。ただし、昼間は学校に行っている設定なので、夜になるまでは掲示板やチャットサイトには入れない。「なぜこの時間に?」という話になると、リアル世界の設定が大崩れしてしまうからだ

どうしても昼にオンラインしたくなった時は、「今日は風邪で休んだ」という理由でどう見ても同じ廃人臭い連中の中に平日の昼間から溶け込んだりしてチャットに励む。相手から見えずとも、ネット依存の自分を知られるのがあの頃はとても嫌だった。

 

ネットだろうと、リアル社会だろうと「働けない」という自分は人に知られたくない状態だった。何かと変なところでプライドが高いのは俺自身も自覚している。

 

パソコン依存の教訓は伝え続ける

 

今、若い子供たちが気軽にスマホやパソコンを与えられネットに繋がる事が出来てしまう現実を俺は良く思わない。なぜならネット環境とは自制の利きにくい年代の子供には、食べても減らないお菓子を与えてしまっているようなものだからだ。

依存症という可愛い言葉で済めばいいが、実際にスマホから離れられない学生や、炎上必至の画像を平気で晒す子供たちを見ていると、大人が制限することの限界を感じると共に子供たちの未来を心配に思う事も多くある。

(参照記事 スマホでイジメが起こるのは当たり前!想像力欠如のオトナたち)

 

コンピューターの知識はこれからの世の中で必須項目になっていくと思うが、子供がネットを使いこなしていくにはまだ時代が追い付いていない。これは自分を含めた、社会の大人に対しても思う事があるくらいだ。

 

短大の話に戻るが、夜3時間だけの講義を受ける以外はパソコンで過ごすのが日常化していった。まだパソコンが家に1台しかなかったので、親と共有していたが、ほとんど使いこなせない親だったので、結果的には俺がほとんど独占という図式になっていた。

親はパソコンばかりする俺を良く思わなかったので、時には「早くパソコンをやめて」とも言った。パソコンに疎い親だったので、ネット生活によって出来た人間関係の事などは無視して切断するように迫られる事もあった。

誰だって友人との電話での会話を遮られたら困るはずだが、親にはチャットや中にいる人の意味がわかっていない。親の都合で急にログアウトさせられては困ると訴える事もあった。時には親に歯向かった。

 

「(ネット住民たちと)大事な話をしとるんやがっ!」

 

相手は見えないが、オンラインという環境で築いていった人間関係は大切だった。俺という存在は、確かに数年間はネット民として生きていたので、そう簡単に電源ひとつ切り落として終わらせられてしまっては大問題だった。

非現実の付き合いでもこんな状態なのに、現実社会でもネットの繋がりが濃くなっていたら大変だった。俺が学生なら、おそらく学校の連中ともネットで繋がり、リアルと見境なく付き合ってしまう部分も出たと思う。

このように依存状態はひきこもっている俺ではあるが大人でも陥るものだ。子供はどうやって区切りをつけるのだろうと話が脱線するが考えてしまう。

 

ネットは面白い。短大が休みの日などは、夕方から朝方の日が昇る時間までチャットで語り明かした日もあった。深い森に迷い込んだのか、それとも自ら進んで入って行ったのかわからないくらいパソコンにおぼれる生活と、夜の短大生という奇妙な生活は続く。

 

共通の知り合い(?)

 

3時間しか学校は無いけれど、それでも毎日のように顔を合わせていれば知り合いも出来てくる。生徒の年齢の幅が広い影響か、特にこれと言って過去を詮索されるような事も無いので、少しは日常会話くらい話してもいいかという気にもなる。

コミュニケーションを取るのはひきこもりの影響か極端に苦手になっていたが、話さざるを得ない場面も出てきた。短大の講義であっても席順が決まっている授業もある。そこで隣になったのが俺の3つ下という男の子だった。

俺の弟と同じ年齢という事もあって、俺から「どこの中学出身なの?」と聞いてみると、偶然にも俺の弟と同級生であることが分かった。あっという間に、俺の弟の話になって俺が兄である事も判明する。すると・・・

 

弟の同級生

「え!?○○君の兄ちゃんなの!?あ、兄ちゃん・・なんですか?」

 

「いいよ・・別にタメ語で・・」

 

 

急に年上の扱いをされ、言葉遣いも敬語に変わったりとややこしくなった。困るのでタメ口に戻してもらった。あまり嬉しくない出会いになってしまった。「兄貴は何をやっているんだ」と思われたくない気持ちになった。

さらりと流しておいたが、俺の弟と一緒に遊んだ事もあったらしい。弟にも話を聞くと、彼の事を覚えていたので仲は良かったのだろう。その後は、特にこの話に触れる事もなかった。周りより遅れて短大に進んでいる事を思い知らされた感が出たせいか疲れてしまった。

 

青春のサークル活動

 

大学というとサークル活動だ。夜間学生も、昼間のサークル活動に参加する事も可能と知る。俺はこれまで小中高と学生時代に一切なにもやってこなかったが、20歳で出会った囲碁に関してはかなり熱かったので囲碁部を探してみた。

すると、この大学では囲碁部が存在している事を知ったので目をつけた。俺の囲碁は「ヒカルの碁」という漫画がきっかけで始まったので、囲碁部という環境は自分の中で思い描く憧れでもある。昼間はネットばかりで時間はあるので、さっそく部室の門を叩いた。

(ヒカルの碁は「お薦めの漫画ランキング100」の堂々1位に推薦)

 

期待に胸を膨らませ部室に行くと女の子が2人ほどいたので、特に迷う事も無く入部希望を伝えた。囲碁に関しての棋力(碁の強さ)を聞かれたが、あまり自分でも判別できていなかったので直接その場で打つ事になる。もちろん彼女らに他の事も質問される。

 

女子「何回生ですか?」

 

どう見ても、高校を卒業したばかりの初々しい18~19歳の男子では無いのはわかったのだろう。どうせ事情を隠したところで後から判明することは最初から言っておこうと思い次のように言った。

 

俺「今年、短大に入りました。年は22歳です」

 

女子あっ(察し)そうですか。ではこちらの入部希望の用紙に記入をお願いします」

 

 

聞かれてもいない年齢まで伝えた。後から聞かれて答えるより先に言った方が楽という考えだ。この女の子たちは大学4年生であった。22歳で短大に入学してきたという特殊な存在に丁寧に応じてくれた。

すでに「ヒカルの碁」みたいな、フレッシュなイメージとは逆のイメージが脳裏をよぎるが、俺にとっては始めての部活動。青春など無関係だったので、入部希望した自分という姿も本当に大事な瞬間だった。

試しに打った碁も、ネット画面ではないので打ちにくかったが嬉しい。それから囲碁部に通っていると、「今日は先生が来てくれる日」という話を耳にする。大学にも囲碁の先生がいる事をこの時に知った。しかし来てくれた囲碁部の先生の姿を見て俺は驚いた。

 

 

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なんとやって来たのは20歳の頃に出会った、俺の引きこもり脱出に力を貸してくれていた囲碁教室の先生だった。俺だけでなく母親もお世話になった。どうやら、この大学に限らず先生は色々な場所で指導に当たられていたようで、偶然の再会になった。

俺は正式にこの大学に通うようになったことを伝えると「それは良かったね。ウチにもいつでもおいでよ」とまた囲碁にも誘ってくれた。知っている先生という事もあり、22歳で入った俺も通いやすくなった。その後は先生に指導を求め碁の勉強にも励んだ。

 

またサークル内にも、他のメンバーが現れるようになった。大学3年生の男の子だったと思う。ちょうど俺と同じくらいの棋力だったので、良いライバル関係ができてお互いに会っては碁を打っていた。部員は少ないながらも、碁は好きなので通った。

こういった外の繋がりも大きかった。ネットだけの時間は非常に多かったが、昼間から囲碁部に出入りする事ができる環境は、ネット生活の家と夜間学校の往復だけにならない居心地のいい場所となる。いつも囲碁部に行ける訳でもないが良い環境に変化した。

部員が少ないので、部室に誰も存在しない日もあったがそれでも楽しかった。部室に置かれてある囲碁関係の古い本などは、囲碁ファンの俺にとってはたまらない。盤に碁石をひとりで並べて研究したりする囲碁部員らしさに、ひとりで感激する事もあった。

 

だんだん俺は調子を上げていると思った。ノリに乗って充実のキャンパスライフを送る準備に入っていった俺は思わぬ落とし穴に堕ちる事をまだこの時は想像もしていなかった。

 

次回に続きます。

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