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僕がニートになるまでの歴史 中学一年生編 ~イジメがニートを生む~

今日は「僕がニートになるまでの歴史シリーズ」の続きを書きます。
前回を含め小学校6年生編まで書いています。もしよろしければ読んでみて下さい。

 

 

入学式から不安だった

 

 

 

 

小学校6年で田舎を離れて、松山にやってきた。
引っ越しも終わり、気持ち的にも中学から新しい友達が出来るんだろうかと
期待と不安を抱きながら新学期を待つ。

 

まだ、田舎の事を思い出すと心苦しい部分はあるが、子供ながらにある程度は
状況を受け入れ入学式に挑むつもりだった。

 
しかし、不運な事に入学式を前に持病の喘息の発作が起こり状態が悪くなっていった。
そして発作は止まらず、入学式を体調不良のまま迎えることとなる

 

 

学校に到着すると、まずクラス分けされた張り紙があったのでそれを見て教室に向かう。
知らない人、知らない場所。転勤族と言われる人の子供は大変だなと思う。
教室には入るものの、すでに友達同士の認識を済ませている人も多かった。

 

地域の小学校から中学校に上がる子が多いのは基本。俺が例外なだけだ。
アウェイ感はハンパ無く、俺は大人しく座っていたくらいだ。

 
入学式の日は、予定通りに式を終えて教室で自己紹介をして終わった。
しかし、式の時点で呼吸が苦しかったせいか、喘息の調子だけが気がかりだった。

 

 

家に帰っても調子が悪く、夜になるとさらに悪化して薬も効かなくなった。
病院に行き、喘息の吸入などをしてもらうのだけど、もう処置をしたところで
止まるレベルでは無かったため、入院が決まる

 
何だか、中1ながらに絶望と言うか、転校して1日しか出席しないまま
新しい環境を離脱するという不安も重なり余計に苦しい思い出しかない。

 

入学から入院へ

 

 

 

 

入学式の次の日から入院生活が始まる。小学校の頃から、入院の経験はあるため
病院生活には特に不安はなく、むしろ喘息の吸入などがある程度の限界まで
使用を許可してもらえる環境にいられるのは安心だった。

 

家だと、どうしても何かあった時の為に、制限のある使い方しかできないのだ

 

喘息の発作は、適切な処置をし安静にしていれば
絶対に止まる事なのはわかっていたけれど、いかんせんキツイ。

 

酸素が多い部屋を作るために病床のベッドにテントのようなビニールを被せて
入っておくという入院生活を送る。しかし、漫画やらゲーム雑誌やらテレビやら。
娯楽になりそうなものは、ほとんど楽しむことが難しい。

 

呼吸が思うように出来ないので、ひたすらゼエゼエと苦しむだけの生活なのだ。

 

入院してしばらく経つと、ある日俺が入院している部屋に1人の女性がやってきた。
最初はお互いに気がつかなかったけど、なんとなくわかった。

 

担任の先生だ。お見舞いに来てくれた。
「クラスのみんなもあらたくんを心配しているよ」とのメッセージを伝えに来てくれた。

 

 

付き添いで俺の祖母が一緒にいたんだけど、祖母は泣いていた。
やっぱり、入学してそうそうに入院という状態にある孫が不憫でならなかったのだろう。

 

もっとも、ニートな今の方がもっと不憫な思いをさせているかもしれませんがw

(ばあちゃんは、子供の頃から大事にしてくれたので、不甲斐ない自分に申し訳なさを感じる)

 

 

祖母とも少しだけ話をして先生は帰って言った。
それから2週間くらい経った。喘息の発作も治まり、自宅で療養してやっと
中学校に登校できるようになる。

 

今にして思えば、よく2週間も学校に行かない状態で行けたなと思うけれど

これが不登校の人との差だ。

 

 

不登校の生徒は行きたくても学校に行けない

 

 

逆にこの時の俺は、行きたくないけど行けるという状態。

なので、何週間も間が空いてもいけるのだ。

不登校生は、人により要因が異なるが、彼らは苦渋の決断を迫られた結果に不登校となる

 

 

入学式後に消えた転校生

 

 

 

 

仕切りなおして登校する。
実質的に、初登校と言ってもおかしくない周りとの距離感を感じながら登校する。

 

入学式以来の教室に入り、席に座る。
周りは入学式から2週間も経っているので、すでに仲良しグループなどの
友人関係などは、すでに固定されている頃だ。

 

そんな状態なので孤立感はかなりのモノだった

 

しかし、前の席の子が話しかけてくる。
「君、あらたくんやろ?入院しとったんやろ?大丈夫なん?転校生やろ?」

 
いきなり消えた転校生はさすがにインパクトがあったのか
話題になっていたようで、ある程度は興味があるようだった。

 

そんな調子で、声を掛けてくれる子とは話したりするようになり
徐々にクラスの人と話を始めるようになる。

 

授業も、若干遅れてのスタートだったが、勉強は最初からやる気もなかったので
全く苦にならなかった。わからなくてもいいやって感じ。

 

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ただ、喘息があるので体育の授業は困難だった。
中学から、体育の授業は軍隊化して準備運動も兼ねて、軽いランニングをすることに
なっていた。掛け声も「エッサホイサ」みたいにかけあい走る。

 

 

小学校までの体育の授業とは打って変わって、そこそこ運動量も求められた。

しかし、不調な俺は周りの生徒のペースについていくと必ずバテてて喘息の発作も起こってしまう。

そうなると、休憩をさせてもらうように体育の先生に頼んでいた。

 

 

無理をすると吸入器を使わないと発作が止まらなくなる。最悪入院がある
なるべく加減をしないといけない状態だった。

 

周りよりもペースを落として、1人だけマイペースで走るように先生に言われ
自分のペースで準備運動はするようになっていった。

 

調子が悪ければ休んでもいい。

先生からお墨付きをもらえ、出来る範囲で体育には挑む事になる。

しかし、この体育が引き金となってトラブルは起こるようになっていった。

 

 

マイペースの代償

 

 

 

 

 

遅れて走る転校生はかなり目立った。調子が悪ければ休む事も多々ある。

しかし、この体育を休むという行為がクラスの一部の人間は心よく思わなかった
俗に言うサボりに見えていたようだ。わからなくもない。

 

中学生の知識では、喘息など理解をするにも出来ないだろう。

しかし、非情なバッシングを受けることになる。

 
「またあらたは休んでいる」

「いつまでも喘息やからって甘えてたらダメやぞ」

「体育を休めてラッキーやなw」

 

そんな言葉が投げかけられる事が増えて言った。悔しいけれど、何も言えなかった。

 

走ることと、ニートは関係ないが気持ち的には重なる。

 

何にも知らねえ奴が偉そうに

 

という言葉にできないような苛立ちは今でも経験する。批判されるのは気持ちの良いものではない。

 

 

事情を知らない癖に分かった風なクチを聞く人間が気に入らないのは
今書いてて思うけど、この頃からあったな

 

 
次第にクラス中に「サボりのあらた」「喘息のあらた」は広がって
何かと体育を休む奴だという事からくる誹謗中傷の声は増えていった。

 

 
俺も、少し頑張らねば。そう思ってランニングも休まずに、なるべく走ったが
やはり起こってしまう喘息の発作。

 

だいたい周りについていって飛ばした場合は、すぐに発作が起こりそのまま
残りの体育の授業は休むという事が多くなった。

 

体育の先生からは、「無理して走ってゼエゼエになるのは勇気があるんじゃない。
自分の中で一生懸命にやることが勇気だ。それでいいから体調を壊さずに
体育に参加できるペースで走りなさい」

 

という風に、身体の事に関しては優先的に考えるように言われた。

 

最初のランニングで無理をして、残りの時間は全部休むことになっている状態への苦言だった。
周りと同じペースよりも落とし授業に全部出られる事を目標にするように言われる。

 

 

この時から、確実にマイペースを守り、体調を崩さない事のみを考え体育の授業を受けた

同時に体育の先生はこうも言ってくれていた。

「遅れて走る事をサボりという奴がいれば言ってこい。俺が言ってやる」

 

ありがたいのだけど、一切言う事はなかった。

 

学校の世界における、教師への助けを求める声はチクリと言われ
教育関係者の思っている以上にシビアな問題なのだ。

 

LINEイジメの記事でも書いたが、イジメは大人の想像超えている事が多い。

 

 

女のイジメは陰湿と言われるが、俺の世代くらいは男も十分に陰湿だった。

イジメは時代により形態を変えてくる、生き物のような感覚だ。

 

千円持ってこい

 

 

喘息系のあだ名は本当に多く付けられた。

今でも付き合いのある中学時代の友達なんかは「あらたって喘息だったよな」と
かなり強く印象に残っているみたいで、会うたびに言われる。

 

 

周りの人間はそういう風に映り続けていたんだなと改めて思わされる事もある。

 

 

 

喘息の一件から、徐々にイジメにも遭うようになった。

 

クラスの1部からではあるが、サボりのあらたとしてからかわれる。
番長みたいなポジションの奴には「千円持ってこい」なんて冗談交じりに
言われたりもしたけど、俺にもプライドがあるので「嫌だ」と言った。

 

しかし、さらに言ってくる。

 

「1円持ってこい」

 

冗談だろうが、ここでも拒否した。金額の問題じゃない。
1円でも金を渡す行為がプライドに触る。弱いけど、反発する部分は反発していた。

 

 

時には周りから、プロレスみたいな技を掛けられたりすることもあった。

一回あまりにも酷いので、ブチ切れて殴りかかってやったこともある。

 

あらたくんは大人しそうだけどなんか怖いね
女子に言われたけど、そりゃ怒るんだから怖いに決まっている。

 

ここでも小学校時代の先生から言われる決まり事と言うか
模範的な生徒の例に添えるように、なるべく守っていた話がある。

 

 

先生たちのいう、ケンカをしない、暴力はいけないなど
正当防衛に使えばいい手段すら何か悪い事のように思っていた
気が弱いことも後押しして、さらに人を攻撃しなくなっていた。

 

出来るだけ争いは避けたいタイプの性格なので、ケンカもしたこともない。

 

この時は殴りかかったがパンチ1発当てていない。ドラえもんに出てくるのび太を想像したら
分かりやすいと思う。

 

実際に俺のリアルな姿も、のび太に似ている。
このクラスには味方らしい味方なんていなかった。
誰も俺の困っている状態を助けてくれない。

 

でも俺も人の事を言えない。俺と同じで、イジメの対象になっている子は他にもいた。
太っていた子なんだけど、特に俺もその子をかばったりしない。
イジメを止めたりかばったり出来る子は、本当に人として素晴らしい子だと思う

 

 

 

夏休み

 

 

 

 

 

そんなこんなで、夏休みがやってきて、久しぶりに田舎に帰ることになった。
田舎の友達に連絡したら、すぐみんなが集まってくれた。

「あらた、帰ってくるってよ」

桐島部活やめるってよ風な感じだが、こんな感じでみんなに連絡が行きわたり
卒業した小学校の前で集まった。

 

良い思い出はあまり残らないというけど、本当にあまり残っていない。
この時は、みんなが集まってくれた事がうれしかったのは覚えているけど。

 

そんなに小学校で話してなかった子も、集まってくれた。

小学校卒業後の春休みから、中1の夏休みまで数カ月だったけど、みんな成長していた。
女子とかちょっと色っぽくも見えた。男子はまだ子供だったが(笑)

 

 

環境が違うのか、何が違うのか、クズの集まりにはクズしかいない。
田舎という環境がいいのかわからないけど、陰湿なクズクラスに帰りたくなかった。

それでも2学期はやってくる。学校に行きたくない。そう思った。

 

運動会

 

 

 

 

 

そんな夏休みも空けて、2学期が始まる。
早々に始まるイベントは運動会

 
クラス全員で一致団結して優勝を目指そうと言いだしている。担任の先生もクラスも一致団結。
放課後の運動場で練習するんだけど、砂埃がすごく舞い上がり、喘息のある俺には
かなり不利なコンディションでの練習が続いた。

 

発作の一歩手前にもなる。授業が終わった放課後の練習も大嫌いだった。

 

中でも盛り上がり度の高い長縄は、リレーみたいな花形競技の一つで
クラス対抗での争いが過熱していた。

 

何組は何回飛べたかや、本番も飛べそうなどの話題で盛り上がる。
2学期だけど、もうこの頃の俺には、小学校時代のような心は無くなっていた。
仕返し、復讐、怨念・・・そんな言葉で表現すればいいのだろうか。

 

クソみたいな行事で盛り上がってんじゃねーよボケ

 

こんな事を本心から思っていた。明らかに性格が悪くなった俺がいる。

 

 

 

 

運動会当日は、やはり順調に盛り上がる。ワイワイ楽しそうなクラスがウザい。
そもそも喘息のバテバテ傾向でやっている俺には何も楽しさが分からない

 

そして長縄の競技がやってきた。
各クラス、これまで練習してきた思いを胸に学年トップを目指し飛び始める。

何回くらい飛んだか覚えていない。そこそこ飛んでいた。心の中で思う。
まだ飛ぶのか・・・くだらない。

 

 

夢とか希望に満ちたクラスメートがムカつく。俺は行動に出た。
縄が、足元をくぐるギリギリに狙いを定め、俺はわざと脚を引っかけた
つま先をコツンと長縄に当ててやるだけでタイミングは崩れた。

 

ここで、俺のクラスは敗退した

 

 

俺のつま先技で、クラスの長縄の夢に終止符を打った。
あ~っというどよめきが起こるも、俺は心の中でニンマリとほくそ笑む。

 
当然、きわどいところを引っかけているため、タイミング的には俺の脚に
引っかけて終わったという事もわからない。俺の仕業とも知らずに運動会は終わった。

 

 

もうスポーツは大嫌いだった。何をしても責めらる体育は嫌になっていた。

 

小学校を卒業した頃の心と、その後数カ月でここまで汚れた心。
なんとも言えない心境の変化は自分でも恐ろしい。

 

しかし、この運動会もかなりのダメージとして負担になっていた。
連日の砂埃の中での練習などが重なったのか、この後にまた喘息が起こり入院をしてしまう。

 

1学年で2度も入院することになるとは・・・。
医療費も馬鹿にならないので、親に申し訳ない気持ちだった。

 

退院してからはまた、日常を送っていったが、この2度目の入院で自分の身体の状態を把握した。

やはり、無理をすると入院に直結していく事がトラウマになってしまったのか。

この頃から、何事にも運動系では全力を出さなくなっていった

如何にコントロールできるかが課題となっていたと思う。

 

冬場のマラソンは、先生や学校医と話し合った結果、見学も決まる。

 

 

さらばクソなクラスよ

 

 

 

色々あったが気がつけば3学期。

クラスを見渡せば、あいつも、こいつも、そいつも全員○○!と思っていた。
しかし短い3学期。あっという間に時間は流れた。

 
こんなクソクラスとはおさらばだと言わんばかりに
進級を夢見て俺は名残惜しむ事も無く、3学期の終業式後にこのクラスを去った。

 

 
2年生に進級するのも怖かった。何だか、また嫌な人たちがいるような不安だ。
だが、ここの人間たち以上のクズもそうはいないとも思えた。

希望を持って2年生になる。

 

 

 

中1の良い思い出

 

クソだったクラスだけど、1つ例外に良い事があった。

 

後にストーカーをする事になる、Aさんの存在だ。

 

 
この子は、クラスでもトップの学力だった。
顔も整っていて、とても可愛らしい子だった。才色兼備とはこのことか。

 

俺とは、かなり学力に差があったので、勉強を通した話などは
一切出来なかったがこの子がいなかったら、中1のクラスはクソ以下でしかなかった。

とても気さくな子だった。
また中学からは一部の女子生徒からは、「あらちゃん」という風に呼ばれるようにもなっていた。
(実際に名前の一部とちゃんを合体して呼ばれた)

 

 

好きな子も俺を「あらちゃん」と呼んでくれたので嬉しかった。今でも思う。
ニックネームで呼んでくれていた子たちは、心のきれいな層に間違いない

 

 

 

 

イジメで人を信用しなくなり、周りとも上手くやれなくなっていく。

ニートの原因が出てきたのはこの頃だ。

 

 

 

 

続き 中学2年生編はこちらです。

 

 

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