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僕がニートになるまでの歴史 小学校5、6年生編  我が人生のピーク時はここだった

公開日: : 最終更新日:2014/10/11 ニートまでの自分史 , , , ,

 

 

人生のピーク

 

前回は小学校4年生までの記録を書いていたので、続きを書こうと思う。

 

自分の人生におけるピークという言い方が正しいのかわからない。
読者の方は、あの頃が最高によかったと思える時期はあるだろうか?あるとしたらいつだろう?

 

俺には小学校5,6年の頃がピークだったので今も忘れられない

 

 

今日はそんな人生のピーク中のピークの頃を書いていこうと思う。
ここでもまたクラス編成が行われ、4年生のクラスとは解体されお別れしている。

 
5年生くらいになると、過去の自分とは見違えたように積極的な姿勢が表出していた。

 
クラスの人数は40人くらいだったが、ほぼ全員と言っても過言では無いくらい
誰とでも話して仲良くなっているような状態だった。
というのも、物事を教わると鵜呑みにしてしまう性格だった事も背景にある。

 

 

 

幼いころから先生が「みんなはお友達です」という言葉を真に受けていたのだ。
好きな人間もいれば、嫌いな人間もいる。相性のいい人悪い人。すべてをひっくるめて
友達になれるもの。いや、なるものだと思っていた。

 

「みんな仲良くしましょう」なんて言葉は最たるものだ。

 

以上の事から、みんなも他者の事を、無意識に友達だと思っているものだと認識していた。

 

 

そういった言葉を信じていたので、誰とでも話せば分かり合え
仲良くなれると考えていたので積極的に話もするし、交流を図ろうとする姿勢があった。

 
転校生などがいれば、積極的に声をかけて、クラスではまず1番に仲良くなっていた。
自分が誰よりも新しい場所に不安を覚えるタイプだったので同じような子には
そういう思いをさせたくなかったのかもしれない。

 
案の定、学期末ごとに渡される通知表にはこれまでと同じように
誰とでも仲良くし、思いやりを持った子」という項目には、ほぼにチェックを
入れてもらえていた。

 

 

自分でも、仲良くすることは正しいのだという事を
認められていると感じており、自分の良いところだとずっと思っていた。

 

しかし、他の項目にあるリーダーシップ系などは、ほぼ皆無。少し寂しかったw

 

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また、周りの生徒からも大事にしてもらえ、少しおふざけをするような生徒にも
なっていた事もあり人気もあったと思う。
担任の先生からは、「授業中は大人しいけど、普段はユニークな子」と称される事もあった。

 

 

ちなみに授業中が大人しいのは、授業に興味が全くない無いから。
だいたい学校の授業は聞いて無くてほとんど集中していなかった。
家に帰って遊ぶゲームの妄想をしたり、落書きで時間が潰れていたと思う。

 

 

クラスの雰囲気もすごくよかった。多少のイジメと言えばイジメのような行為も
あったが先生が途中で止めるなどで、悪質に発展するような事もなかった。
すべては順調だった。

 

 

このクラスは最高だなと心から思えるクラスに出会った。

 
俺の目に映る世界なので、本当はこのクラスの中にも苦しい思いをしていた
生徒もいたかもしれない。リア充と呼べる位置に存在していた俺には
そんな負の光景には目が行き届いてないのかもしれないが良いクラスだと思う。

 

 

これと言って勉強もスポーツも出来ない生徒が、面白おかしく振る舞えるだけで
人気者として受け入れてくれたこのクラスは大好きだった。

 

喘息の悪化

 

 

 

この頃のマイナスな思い出があるとしたら、喘息による体調不良だ。
俺の場合はよくわからないが、頻繁に喘息を起こす体質だった。
小学校3年くらいから発作が起こり始めたらしい。

 

 

 

記憶に残っているのは、この頃からの悪化だ。
一般的にはもっと小さい時に喘息は起こり年齢と共に解消されていくようだ。

 

友人たちの話を聞いても、「子供の頃は喘息だったよ」なんて声をよく耳にした。
確かに俺のように小学校の途中でというのは珍しいケースなのだと思う。

 

そんな喘息の悪化が酷かったのがこの小学5年の時だった。
この年は、2回も入院をしており、病弱な一面もこの頃から浮き彫りとなっていく

 

子供なので、どれくらいの激しい運動をしてはいけないのかや、ホコリのある場所が
ダメなのかもわからず喘息の発作が起こっては後悔し、親にも少しは加減を覚えろと
注意を受け怒られていた。

 

だいたい喘息が悪化すれば、病院から渡されてある吸入や薬では効果が無く
長期の治療が待っていたので加減を覚える必要があった。

 
夜中に病院に行く事なども日常茶飯事だった喘息生活も大変だった。
しかし、そんな喘息の苦しさが記憶に残っているのは中学生くらいになってからだ。
それだけこの時期を幸せに過ごさせてもらえたのだろう。

 

本当に周りの人たちに感謝している。

 

初恋?の思い出

 

 

 

 

またこの5年生で初めて恋をしている。

まあ、女子を可愛いなくらいの感覚で
見ていた事は過去にも色々とあったので初恋というラインがわかりにくいが。

 

以前、ストーカーするほど好きになった話をしたが、小学生で恋をした今回の話は
そこまでエスカレートはしていない。

 

クラスで一番可愛い娘だったが、仲良くしてもらったので
とても心がドキドキする思春期を送っていたと思う。

 

担任の先生の誕生日にサプライズで誰か女装して驚かそうという、この好きな子からの
提案があった。しかし誰にも受け入れられないという事態に。可哀そうだったので
「俺がやってやるよ」と引き受けたりした事もある。

 

そんな事をする生徒なので、余計に周りの生徒も「あらたは面白い奴」という
評価をくれるようになっていた。すべては恋のための女装であったのだが。

 

この頃になり、休み時間の運動が好きになる。基本的に運動は出来ないので
誘われてもやる気ナッシングだったが、手打ち野球が大流行。

 

お手軽に野球をしている感覚になるので、楽しむことが出来た。

 
ミスした人を責めるような生徒もいなかったので、どんどん夢中になり
小学5年にして、はじめて野球に興味を持つようになりテレビで
観戦するようになる。

 

ルールも覚えていけるので、いつの間にか野球が好きになっていた。

 

小学校6年生へ進級

 

 

 

 

5年生が素晴らしいクラスだったので、6年生には何の不安もなく進級した。
運がよく、大好きな担任の先生も変わらなかったので、5年生が6年生に進級しただけ
という特に変化の無い日常だった。

 

しかし、変化が無くとも人生ピークと呼べる環境だったのは、この5~6年の2年間が
最高の仲間たちと過ごせた事の他に理由が無い。

 

何かと周りからワイワイと騒いで遊んでもらえ、人気もあったのでこういう位置に
いられる人はずっと学生生活に悩みなんてなかったのだろうなと今でこそ思える。

俺も、この時の事を思い返してみれば、変な踊りをしてみたり、女装してみたり
面白いと思われそうな行動を取ってみたり。

思春期に入ってくると周りも気にしそうなモノだが、まだ無かったのだと思う。
羞恥心なども感じるような段階に入ってなかったと自身を分析している。

 

担任の先生もまた、このクラスは不思議なクラスと評価していた。

「このクラスは今まで出会ったクラスで一番まとまっていて、友達同士も仲が良い」
こんな事があるのだろうかという感覚なのだろう。

俺も不思議なクラスだったと思っている。

 

先生の指導も良かったのもあるのかもしれない。生徒に対しても必ず「さん」をつけていた。
教師という理由で、生徒を呼び捨てするのはポリシーでなかったそうだ。
色々な話を聞く中で俺はこの先生を尊敬していった。

 

不思議なくらい周りが仲良く問題もなく、一体感があるクラスなんてまず無い。
現にこの時のクラス以上の素晴らしい学級を見たことが無い。

でもここにいる友達と別れても、これから中学も同じなら不安など何も無い。
幸せロードはまだまだ続いている。俺は大切な仲間を手に入れていた。

 

 

母からの伝言

 

 

小学6年のいつだろう。幸せを謳歌する俺と弟にある日の夕方に
母親から次のような事を伝えられた。

 

「来年、引っ越しする事になってね・・中学はみんなと別になるけどいい?」

突然の事で動揺した。
「いい?」という意味もわからない。選択する権利は子供には無いのだから。

 

突然の話だったが、まだこの時は俺の中でそこまで問題視していなかった。

 

「あぁ・・友達と別れて寂しいな。好きな子とも離れて寂しいな」
そんな気持ちは当然に起こったが、正直なところ母から言われた時は
そこまでの衝撃でもなかった。

 

実感が無いせいだろうか?現実逃避しているからだろうか?
どこか冷めた自分がいるのだろうか?などと思う事もあったが
決まったことは仕方が無いと受け入れたのか。

 

寂しいと母親に聞かれた時には、「まあ、寂しいけど仕方が無いけん」くらいは言った記憶がある。

 

だが、この後に引っ越しに向けた動きを見る度に、追い詰められるような
悲しさを実感することになる。

 

進学についての調査書

ある時に学校からの進級調査書?みたいなのを貰う。

「来年度は、地域の中学校に進学しますか?引っ越し予定はありますか?」
といった内容の保護者向けのプリントを渡された。

移動などがある生徒は学校側の手続きが必要なため、クラス全員に渡されるものだ。

 

引っ越しが決まっている俺は、親にこれを書いてもらい、先生に提出した。
当然、自分でも引っ越すことは分かっているため、億劫な気持ちで先生に渡す。
担任の先生は驚いたようにプリントを受け取った後にこういった。

 

「え!?あらたさん・・引っ越しするの?」

 

「・・・はい」と答えざるを得なかった。

 

周りの生徒にも聞こえたようで「え?あらた引っ越しするの!?」はクラス中に広がる。

この瞬間だった。

 

やはり引っ越しは、澄ました顔で耐えられる内容の決定では無かったんだと自覚した。
クラスのみんなが見ている前で、涙がこぼれて止まらない

とうとう溜まり溜まった不安と寂しさと悲しさの堤防は決壊することになった。

一緒に遊んでた友達、交換日記グループで一緒だった友達、先生やみんなが
俺が引っ越す事を寂しがってくれた。

しかし、その気持ちが伝われば伝わるほど涙が流れてしまう。

 

 

 

この日の事は今でも強烈に覚えている。

朝一番でプリントを提出し泣き始めてから、帰るまでの間は暇があれば泣いていた。
誰とも話す気にもならない。こんな日は小中高を通して思い出しても経験が無い。

 

友達もさすがに声を掛けづらいと感じたのか、朝の騒動以降は引っ越しについて触れていない。
しかし、この日からいつも以上に友達から声がかかるようになる

「まだ引っ越すまで時間があるから、それまで一緒に遊ぼう」と誘われ
帰りも俺の家までみんなで帰るなど小学生ながらの出来るだけの事をみんながしてくれた。

 

今まで遊んだ事の無い人たちとも全力で遊んだ。
限られた時間だけど、思い出は作れるだけ作ろうという友達が多かった。

 

離れたくない。引っ越しはしたくない。
そう思えば思うほどに、時間は流れタイムリミットが押し寄せてくる。
また、俺の引っ越しに関係なくこのクラスの絆は強かった。

 

卒業式へ向けて

 

 

卒業を目前だが担任の先生は「このクラスはとても素晴らしかった」と言ってくれ
クラスメートのみんなも、卒業してもまた皆で20歳になったら会おう!という
話になった。

8年後に再会を約束し20歳の自分に向けて手紙を書きタイムカプセルにした。

 

そして、先生とも約束を交わした。
あらたさんも必ず8年後に会いましょう」と言われ俺も8年後を楽しみに約束を誓った。
そのまま卒業式である3月が来てしまってお別れ会もしてもらった。

 
人生30年を越えて生きているが、この時ほど人との別れが辛いと思った事は無い

 
そして、時間はそんな寂しさも待ってくれない事も知る。
苦しかった。今では考えられないけど、学校に行きたくて、通いたくて、楽しみで。
そんな学校とお別れをしなければいけない日。

 

卒業式にはランドセルに皆がメッセージを書きに来てくれた。
友達って良いなと子供ながらにありがたみを感じた。

 

担任の先生にも挨拶にいった。泣き虫あらたとして1年生から事あるごとに
所構わず泣き続けてきた小学校時代だったが卒業式の日は涙の一滴も流してない。

 
最後だけは笑っておけるようにしたいという気持ちがあったのか
泣くのが恥ずかしいと耐えられるような急成長をしたのか。

気持ちを押し殺してみんなとお別れをした。

 

 

 

卒業式が終了してほぼ間もなく、松山に引っ越している。
もう少しだけ田舎で友達との時間を最後まで・・・と思っていたけれど
早く次の場所に慣れる必要性もあるため家族ですぐに引っ越した。

 

 

新しい家に変わり、中学校の始まりを待ちながら春休みを過ごした。
友達からのメッセージの手紙などは随分読んだ。

 

「あらたなら、松山の学校でもやっていけるよ」という友達の励ましの手紙と共に
送り出され中学校の始まりを待った。

 

長文のご閲覧ありがとうございました。

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人生の分岐点

 

引っ越しは、僕の中の人生で数少ない分岐点の1つでした。
もちろんここがすべてでは無いけれど、やっぱり今でも思ってしまう事はありますね。
こいつらと中学を一緒に過ごしてみたかった。

というのも、中学以降が最悪だったので思うだけかもしれませんが。

 

ニートへの直接的な因果関係はわかりませんが、転校って人生に大きく関わりますよね。

 

 

続き 中学生1年生編はこちらから

 

 

 

過去の僕がニートになるまでの歴史記事をどうぞ

僕がニートになるまでの歴史 0~3歳期

僕がニートになるまでの歴史 3~6歳 保育園投獄編 ~あなた何組さん?僕は負け組さん~

僕がニートになるまでの歴史  ニートの卵の小学校1~3年生編

僕がニートになるまでの歴史 小学4年生編  ~親はゲームに制限時間を設けるな!!~

 

 

 

ニートあらたに至るまでの経緯を、大雑把に見たい方はこちら

 

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Comment

  1. 伝説のニート より:

    あらたさんって……
    私との共通点がありすぎて、すごく驚きました。
    年齢も近いですし。
    私も人生のピークが小56でした。
    高校出て以降はずっと負けっぱなしの人生……
    21歳終盤で自殺未遂し、1年余りニートしてました。
    今も発達障がいを抱えつつ何とか生きています。

    ブログの内容、共感できる内容ばかりで楽しみに読ませて頂いてます。
    無理なさらず、自分のペースで頑張って下さい。
    語彙が貧弱なこともあり偉そうな文章になっているかと存じますが、今後も楽しみにしてます。
    失礼致しました。

    • あらた より:

      伝説のニートさんへ こんばんは。
      コメント頂きありがとうございます。

      ネットが普及して、共通点を持った人が見つけやすい時代になったとは思いますが、それでも似ていると言われると少し驚きます。年代的なモノもあるのか、困難にぶち当たるケースにもひょっとすると関係性があるのかもしれないですね。

      僕の方こそ語彙に乏しいので、読んで頂けるだけで嬉しいです。応援ありがとうございました。

      またお時間がございましたらお越しくださいませ。

管理人:あらた


詳しくはこちらで

不登校→ひきこもり→ニートから社会復帰しバイトをするも凡ミスを連発。たび重なるエラーで職場に居られなくなり転職を繰り返す。そんな中、仕事で頻繁に起こるミスの原因は発達障害の影響と発覚。復帰と挫折を往復して現在はニートの1982年生まれ。

ニートに至るまでの経緯を決して無駄には出来ないと考え「僕がニートになるまでの歴史シリーズ」で半生を書き散らかしている。ニート当事者の方、保護者の方、またその他の方に届けられる記事を書いていきたい。
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