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僕がニートになるまでの歴史~21歳後編 フラれて見えた絶景~

2003年度の前半である前回の記事では、告白して振られたところまで書きました。振り返られる方はこちらの記事を参照して下さい。それでは引き続きご覧くださいませ。

 

引きこもりの人生に一片の悔いなし

人生で初告白&初フラれした日は家に帰って泣いた。振られてしまう事は感覚的にもわかっており、上手くいくとも思っていなかったので想定の範囲内。心の準備も出来ていたが、それでもやっぱり振られるとキツかったので涙が込み上げてきた。

家でひたすら畳の上を転がりながら延々と泣いた。嫌な思いをしたり、悲しい事で泣いたりと子供の頃から数え切れないほど泣いてきたが、この時の泣き方は今も忘れられない不思議な泣き方であった。

 

ははは・・。はぁ・・。うぅ・・。うぅ・・・。

 

と笑いながらも涙がこぼれてしまうような状態。ふられた現実を受け止め、切り替えていこうとした姿がこういう形で現れたのかもしれない。変な泣き方をしていたがスッキリした。中学の頃から述べ8年ほど好きだった女の娘に告白できて嬉しかった。

人生で初めて告白し、ようやく後悔という過去の嫌な思いから解放された。この告白と同時に、「死ぬ前に好きだった娘に告白してやる!」という目標も消滅した。晴れて悔いの無い人生になったのだ。

しかし告白を終えた今、また「目標なき世界」に入るのかと思うと、一気にふられた反動からかツライ気持ちが押し寄せる。もう思い残す事も無くなったとも思った。しかし、この時に「悔いは無くなったので死のう」とも思っていない。

むしろ、好きな女性に押し掛けて好意を伝えられる自分がいる事が判明した事に希望が見えるような考えに変わっていった。この時に自分は、異性に思いを伝えられる男なのだと自覚した。告白と言う大目標を達成して目標は失ったが、また新しい目標も浮上した。

 

彼女という存在が欲しい!

 
この気持ちが、俺の人生に置ける大きな目標へとシフトしていく事となる。漠然としているが、「自分は告白できる男なのだから彼女が欲しいと思うのも当然だ。そしていつか恋人もできるだろう」と次なる目標が出来あがった。

告白すると言う階段を1つ登る事で世界がまるで別物にも見えてきた。今まで自分は好きな人にも告白一つ出来ずに死んでいくと思っていた。その男が告白する事を覚えたのはある種の特技を習得したような気分でもある。

「何事も一歩でも、半歩でもいいので前進する事で景色が変わる」というのは非常に有効だと知った。この告白から得た自分の体験から、少しの行動でも自分に変化をもたらす大きな要素となる事を人には伝えるようにしている。

 

また俺は学生時代から、女性とは縁が無かった。どちらかというと異性と関わる事よりも、自分が早く死にたいと考える事や、学校に行きたくないという事ばかり考えていた。家から出られるようになり、過去に出来なかった事をやってみようと意気込んだ。

 

来訪

 

告白も終わり、魂の抜け殻のような状態になりながらも通信高校には通った。そんなある日、家のインターホンが鳴る。ひきこもり時期は家庭内メタルギアソリッドな動きをしていた俺も、この頃になると学校に通えるくらい外に出ている。人が来ても隠れる事は少しずつ無くなっていった。

 

家のインターホンには母が出た。すると母が俺に「あらた、S君が来たよ」と言う。S君というのは、俺の高校1年の時のクラスメートで友人であった。かれこれ高校に行かなくなって3年以上過ぎている俺を訪ねてきた。今の時期になぜ?という思いで、S君の待つ玄関に向かう俺。

この来客には正直なところ驚いた。何しろ学校に行かなくなってもう3年。そして通信制にも通い出した事も含めれば4年前の友人だ。今頃になって会うのも変な感じであったが、俺もベストタイミングだと思いありがたかった。

これがもし、引きこもりの最中に家に来ていたら・・。おそらく顔も、声も気配一つ見せずにお引き取りを願った可能性が高い。S君とはそのまま公園に移動して一緒に話した。他愛も無い話だったが、まともに外の人と話したのはおそらく3年ぶりくらい。とても楽しかった。

S君も、高校を卒業したものの色々あったらしく、大学に行くため浪人したり働いたりしていたらしい。しかしこの時のS君は地元の夜間大学に通っていた。昼間はバイトなどをしており、時間があったのか久しぶりに俺を訪ねたそうだ。

 

まずS君は俺の痩せように驚いている。開口一番「偉く痩せてるけど大丈夫か?」だったので俺も鮮明に覚えている。何しろこの頃の俺は、顔も身体も病的に痩せていたので、高校時代の俺の姿からの豹変ぶりに心配してくれていた。

不登校になり、自分の無様な姿を他人に見せたくないと考えていた俺は、色々な友達を切り捨てていた。友人であっても会う事を望まなくなったし、自分のプライドを守るためだけに他者と付き合わなくなっていた

こんな自分を正直なところ後悔する時もあった。「友人たちは今頃どんな事をしてどんな世界にいるのだろう」と考える事は多かったからだ。S君から、そういった高校時代までの友人の動向なども聞かせてもらった。

みんな大学や専門に進学したり、就職していたりと至って普通の生活を送っているようだった。変わらず過ごしている事を聞くと羨ましく思えたり、俺も会いたいと思ったりもした。ただ、それでも自分とは住む世界が違うようにも感じたり複雑な気持ちにもなった。

S君は、俺にとっての友人であり周りの状況を教えてくれる事情通みたいな存在にもなった。通信制に通えている影響か俺の中にある「働いていない罪悪感」も減っていた事もありS君とはその後も定期的に連絡を取ったり、会う約束を取り付けるようになっていた。

友人関係と言うライフラインが息を吹き返した事で、また少しではあるものの世間との繋がりを感じ取れるようになっていった。

 

スクーリングでドキドキ

 

学校に関しては告白も終わってしまったので、もう学生の肩書が不要になっていた。それでも、せっかく通っているので高校は卒業しようとスクーリングは続けた。そんなスクーリングの帰り際の話だ。俺のチャリの横を原付バイクで帰ろうとする1人の女性がいた。

とても可愛らしい女性で、当時21歳の俺と比べてもそんなに年齢も変わらないであろう雰囲気。告白して振られて時間が過ぎていたのもあって、突然ではあるがこの女性と仲良くなりたいと思った。特定の女性と友達になった事も無かったのでこのバイクの女性は特に輝いて見えた。

 

「この娘やばい・・友達になりたい・・。声を掛けてみようか・・」

 

やばいのは俺の方だが直感的にそう思った。しかし何の接点も無い自分が女性に声を掛けるなんて出来ない。思いきって「すみません。電話番号を交換しませんか?」と言いたかったが、唐突すぎて勇気も出ない。後悔は二度としたくないと思っていたので、声を掛けるか迷った。

悩んでいるうちに女性はバイクで帰ってしまうのだけど、俺はこの時くらいから女性と接点を持つ方法を考えるようになる。冗談のようだが「出会って数秒で携帯番号を交換する」という発想は、この時の俺のベストな女性との関わり方だと思っていた。

女性との関わり方を知らない男というのは、いきなりこんな行動を取るのかと思うと怖いなと自分でも思う。元々コミュニケーションも取れない人間だったので、女性関係には不審者でしかなかったのだ。

その後も、スクーリングに通うたびに色々な女性を見てしまう。可愛かったあのバイクの女性はもういないのかと思うと寂しくもあった。

 

留年?

順調に不登校、引きこもりから抜け出し通信高校に馴染んでいたが、この2003年の冬場にはまたも精神的に大荒れしている。とにかく「病む」という状態は波のように押し寄せていた。メンタル不調は程度の差の問題で、波の幅が大きい時は参ってしまう。

30歳を過ぎた今でこそ多少の精神的な問題もコントロールできるようになったが、いかんせんこの頃は20歳前後。若さゆえ思うようにメンタル維持が出来なかった。

それにより頻繁に泣いている状態になった。人生を悲観して、強迫性障害の苦しさから生きていても良い事が無いと前が見えなくなる。いくら今の肩書が学生でも、その先の人生を考え始めるとゲームオーバーだと考えてしまう自分から抜け出せない。

 

「どうせ今こうやってレポートを書いても、社会の人間は誰もこのレポート学習を評価しない」そう思う面も大きくあった。自分が他の人と同じ高校の卒業資格を取ろうとしていても、その取り方が社会に受け入れられないと思い込んで苦しかった。

普通高校を出ようが、通信だろうが、大検だろうが関係ない。「自分のやり方で道を切り開けたらそれでいいじゃないか」と今でこそ思えるのだが、この時は1人の世界で生きていたせいか考えが及ばなかった。誰にも相談できずに自分の人生を否定し続けた。

通信の自分は、これから先に役立つ事をやっているのだという感覚が得られないツラさがあった。むしろ何をやっているのかと自問自答する。結果的に無駄な事をしているようにも思えたりして、レポートを出す気力すらも奪われる。これは寒くなるに連れ悪化した。

 

冬場に差し掛かり、もう後少しだけ頑張って課題を仕上げてしまえば卒業までゴールが見えてくると言う状態だった。それでもレポートに手をつけられなくなった。あれだけ再スタートを頑張ろうとしていた自分は消えていた。

病んで病んで、これでも堕ちないかという所まで堕ちて行く。積み上げた通信の1年をまるごとぶっ壊してしまいたい衝動にも駆られる。

 

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「もうどうなってもいい」

 
自暴自棄な自分が出てくる。生きている意味がわからないと言い、通信のレポートを放置して学校にも通わなくなりかけていた。母親に対してもひたすら自分がこんな状態で生きなければいけない苦しみや恨み、憎しみの言葉をつぶやいた。

俺は母親に「もうレポートも学校もどうなってもいい」と告げたり「お前がレポートをやるかやらないかで俺の卒業が決まる」と終わりかけの課題を丸投げして、積み上げてきた通信高校の出来事をぶち壊そうとした。

 

「あともう少しで終わるんだから・・」と母親は言うも、「知るか!卒業なんかどうでもええ!」とすべてを投げ捨てた。俺はこの微妙なあと少しの課題をやりきれず母親に丸投げしたが、自分でもどうすればいいのかもわからなくなっていた。

母親も困るのはわかるが、自分も社会や人生に絶望して困っている。人生なんかどうでもいいけど、どうでもよくないという矛盾した不安定な気持ちで揺れた。精神的には完全に参った状態で結果的にはすべて放置した。

すると、次の日にその微妙に残った課題を母親が手伝って完成させていた。「母親が俺の課題をやるかどうかで、俺が卒業できるかどうか決まるんだ!」とけしかけておきながら「余計な事すんな!」と再び母親に俺は当たった。

しかし、この時の母親の手伝いがあって高校卒業への切符を手にしている。病み腐った時期だったが、母親のフォロー無しではおそらく留年して2年目の通信制をやっていたと思う。それでも母親に感謝の言葉を述べていないのだけど・・。

 

その後は温かくなるにつれボロボロの精神状態は上向き始めていた。春の卒業を目指して、やるべき事も進めていけるようになり順調に回復し安定し始める。

 

卒業へ

 

色々な事があったが早いモノで卒業まではあっという間だった。卒業をかけた試験もしっかりと合格。俺は晴れて高卒という肩書を手に入れる事になる。単位もがっつりと通信生活で取り尽くしていたので、卒業式も出る必要は無かった。

しかし、家の中で自動的に卒業状態になったはいいが母親からも度々出ていた話がややこしく再発する。「高校出たら・・どうするの?」と母親は進路を考えろと言う。

「通信に通えただけでも奇跡やろが!まだ人の中で生きるのは無理や!」と母親との争いは起こった。ちょうどその頃、母親とテレビを見ている最中に通信在学中でも話題にした事のある夜間大学のテレビコマーシャルが放送されていた。

S君が通っているという話を母親としていたので、俺に対して「S君もおるんやから一緒に通えば?」というノリで話を持ってくる。通信に引き続き、またしても俺の人生に介入しようとする母親が鬱陶しかった。俺の決定権が無視されている事に苛立った。

かといって、また恐怖の無職に戻ると考えると、それはそれで自分の精神衛生上でかなりの負担になる事もわかっている。高校退学の後の無職の1年の居心地の悪さは頭に残っている。

 

通信で得た「学生」の肩書は自分を守る盾になるという偉大さを感じた。まだ俺には肩書の必要性があると考えた。

「(受験を)受けるだけ受けて、落ちたらまた家の中だからな!」と母親の提案である受験に承諾して、大学に向けた手続きを始める事になった。高校を卒業しても行き場の無い俺は滑り込み入学を急ぐため、この後の数日間は非常に忙しかった。

 

滑り込み受験戦争

3月に高校を卒業した俺が来年度である4月という一カ月を切っている時点でも大学入学の手続きを進められる?と疑問に思う人もいるかもしれないので説明しておこう。

まず通信の高校からは、進路をどうしろと言われる事は無い。単位をレポートで取得して、卒業式にも出なかった俺は先生たちとも顔を合わせていない。卒業式も過ぎて重い腰を上げ卒業証書を受け取りに行った時に「卒業おめでとう」と言われたくらいだ。

実際に卒業証書を受け取った時に「あらたくんはどうする予定なのか?」と学校側から聞かれるくらいの感じだった。ギリギリになって大学受験をすると言った俺なので、学校側も急いで入学願書に必要な書類を用意してくれた。あと少し入学の決意が遅れたら受けられなかっただろう

 

そして大学は、夜間学部。この学部は文字通り夜間と言う特殊な環境であってか受験生もギリギリに集めていた。仕事を持っている人は当然ながら、現役の高校生たちで近場の大学に受からなかった子なども多くいる。そういった関係で、「最後の砦」的な位置にもなっている様子。

現に入学試験は国語のみで超簡単。しかし俺は国語が死ぬほど苦手。現役の学生時代から苦手な科目に常に入ってあった。それにも関わらず人生最高のデキを決め合格している。ちなみにS君も人生最高のデキと言っていた。来る物は拒まない勢いの学部にも思えた。

 

この入学試験までに、本当に短期間であるが通信の先生を始め母親にも動いてもらった。結果的に見事に入学も決まった。これで夜間大学の間は社会に適応できない俺でも、また「学生」の肩書を引っ提げて生きる事が出来ると安心した。

引きこもり脱出1年目は通信生として生きる中で荒れ狂った時期もあった。しかし何とか高校を卒業して進路も決まり次の道を作った。母親や通信の先生に俺は後押しされている状態で夜間大学に向かう。不安が多いながらも、多少の期待を持って。

 

次回は夜間大学編です。

 

僕がニートになるまでの歴史シリーズ公開中!

 

 

 

 

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不登校→ひきこもり→ニートから社会復帰しバイトをするも凡ミスを連発。たび重なるエラーで職場に居られなくなり転職を繰り返す。そんな中、仕事で頻繁に起こるミスの原因は発達障害の影響と発覚。復帰と挫折を往復して現在はニートの1982年生まれ。

ニートに至るまでの経緯を決して無駄には出来ないと考え「僕がニートになるまでの歴史シリーズ」で半生を書き散らかしている。ニート当事者の方、保護者の方、またその他の方に届けられる記事を書いていきたい。
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